2009年1月30日 (金)

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舩木俊介「プラグド」

です。

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2008年8月21日 (木)

ウォール街のプロが顧客に最も読ませたくない本「まぐれ」

毎月かなりの数のビジネス書を読むんだけれど、こういう面白い本に出会えることは滅多にないな。

ナシーム・ニコラス・タレブの「まぐれ」。「投資家はなぜ、運を実力と勘違いするのか」という副題ながら、なにもトレーダーに限った話ではなく、人生一般における偶然、ランダム性についての本。

『無限大匹のサルをタイプライターの前に座らせれば、そのうち最低一匹は「イーリアス」と同一の文章を書き上げる』など、モンテカルロ・シミュレーションを使い、偶然と思われていることは母集団の数次第で十分に起こりえることだと言う。誰でも成功すると自分の能力が優れていたと思い、失敗すると運が悪かった思うように、都合良く考えてしまうのが人間。しかし個人の能力などではなく、「上手くいったのはまぐれ」で、「上手くいった人とは何かが起こったときにたまたまそこにいた人」であることがが多いというのが要点。

かなり複雑な流れになっている本なので、面白いところを適当に抜き出すと、

とてもとても長いサンプル経路の性質が、モンテカルロでもっと短いサンプル経路をつくって平均をとったときの性質に近くなる。宝くじに当たった第1章の用務員が1000年生きていても、また宝くじに当たるとは期待できない。能力は高いのに運の悪い人生を送ってきた人も、いつかは立ち直る。運がいいだけのバカは過去にいい目にあったかもしれないが、長い目で見ればそんなに運がよくないバカの人生に落ち着く。(P81)

ジョンが苦しみから立ち直るのはいつだろう?たぶんそんなときは永久に来ない。損をしたからではない。トレーダーなら損をするのは慣れっこだ。ジョンが永久に立ち直れないのは、彼が吹き飛んだからだ。思っていたよりもずっとたくさん損をしたからだ。彼は完全に自信を失った。でも、ジョンが立ち直れないのにはもう一つ理由がある。最初から能力なんかなかったことだ。彼は何かが起きたときにたまたまそこにいた運のいい人の一人にすぎなかった。彼は本物に見えたかもしれないけれど、本物に見えた人はたくさんいたのである。(P118)

次の帰納的命題は、過去のデータを方法論も論理もなしで額面どおりに解釈するとどんなことになるかを語っている。『さきごろ、私はブッシュ大統領の寿命について綿密な統計的検証を行った。五八年間、二万一〇〇〇件近いサンプルにわたって、彼は一度たりとも死んだことはなかった。それゆえに私は、彼は高い統計的有意水準で不死身であると断じるものである。』(P153)

でも、うまくいかなかった。みんなQWERTYと並んだキーボードに慣れ親しんでいて、手癖はもう変えようがなかった。俳優をスターにのし上がらせる、螺旋形に働く推進力と同じように、人は他人が好んでやるとおりのことを自分もやりたがる。過程に合理的な動きを強いてもうまくいかない、というか不可能だ。これは経路依存性と呼ばれている。数学的にモデル化しようという試みは何度も行われたがうまくいっていない。(P216)

たとえばサンタフェ研究所で非線形性を研究している経済学者のブライアン・アーサーは、経済での優位を決めるのは、やたらと難しく定義された何か専門的な分野で優れているとかということではなく、たまたまの出来事と正のフィードバックだと書いている。初期の経済学モデルはランダム性を取り込んではいなかった。アーサーはこう書いている。「思いがけない受注や、弁護士とたまたま出会ったことや、経営者の気まぐれで・・・(中略)・・・初期の段階での売れ行きや、時間とともにどの企業が他を圧倒するかが決まるのだ」(P217)

経済学や経営学をはじめとして、合理的な行動が前提になっているものが多くある。そうでなければ学問として扱えないからだ。しかし、人間がモノゴトを決定するのは感情が先行してしまうので、必ず現実にそぐわない部分が生まれてくる。特に情報量が多くなった今の時代では、選択肢が多すぎて無難な結論に落ち着くヒューリスティックも相まって、その合理性の破綻が目立つようになってきたと思う。

人生において偶然の重要性はとてつもなく大きいというのが実感だけど、普段は偶然の作用を考えない。それは、人間の因果関係を想像する能力が高いからで、だからこそ環境の変化に適応して生き延びてきた。また、現代では生まれてから20年以上に渡って勉強と得点という因果関係のはっきりした教育課程を歩む。そのため原因と結果が明確に結びつくような「線形」で考えることが人間の習慣になっている。

だから、人より多く稼ぐ人は特別に能力が高いからだと思ってしまうが、そもそも世の中には同程度の高い能力を持つ人が大勢いるということを考えれば、その母集団の中で上手くいくかいかないかは偶然の可能性が高い。誰かに会ったとか、たまたま聞いたとか、そういうきっかけが人生の方向を大きく変えてしまう。

簡単には納得し難い話だが、それは頭が「線形」に慣れてしまっているからで、直接的な原因のない結果である「非線形」はより現実に近いと思う。

では、その非線形世界の中である程度の偶然を起こすためにはどうするか?(というのは結構矛盾しているし、あまり大きな偶然が起こるといずれ引き戻されるからある程度)、一つ思ったのは外向きでオープンであることだろう。最近のベストセラーを眺めてみると、スキルアップ、能力開発、自己啓発など内向きスタンスで自分、自分、自分、自分。不安な人が多いからだろうけれど、ある程度能力が高ければそこまで謙虚になる必要はない。

それよりも自分の外部にネットワークを作る、よりオープンで外向きな方が良い。仮に非線形の偶然が起こらなくとも、その方が豊かな人生になることは間違いないように思う。


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2008年7月22日 (火)

クリティカルとポジティブの両立

ポジティブであることは非常に大切です。何か新しいことを始めよう、もっと上にいこうという時にネガティブではそもそも話にならないから。

ただ、ポジティブ・シンキングのススメがこれだけ多いと、ちょっと待てよと思う。ポジティブであるということは単に人生における受験資格のようなもの。ポジティブとネガティブ、楽観的と悲観的、肯定的と否定的という軸で考えれば、いずれも前者のスタンスでなければいけないでしょう。しかし、絶対的に欠けている部分があり、それが「クリティカル・シンキング」です。

クリティカル・シンキングは、日本語で「批判的思考」などと訳されますがこれは間違っていて、内容から考えると「冷静な思考」というほうが正しい。決して否定的な思考パターンではなく、ものごとを落ち着いて考えようということです。

例えば、ある人が雨の日に階段で転んだとする。
ポジティブ・シンキングなら「怪我がなくて良かった」と思う。
クリティカル・シンキングで考えれば、不注意で転んだのであれば「自分が悪いから気を付けよう」と思い、雨で階段が濡れていて転んだのであれば「滑りやすい階段を改善するべきだ」と思う。

まあ、転んだくらいでは言わないにしても、ビジネスなどの問題解決にはこの思考パターンが重要で、日常的に使われるものです。

ポジティブ・シンキングでは負の側面をも前向きに捉える。しかし、それではまた再び転んでしまう可能性がある。クリティカル・シンキングでは、起こった事実を「不注意=個別要因」と「階段=環境要因」の両面から考えて原因を認め、再び転ぶことを防いでいると言えます。

ポジティブ←→ネガティブという軸だけで考えてしまうと、このクリティカル・シンキングがネガティブの部類に入る可能性が高いので危険です。会社やチーム内で建設的な意見を言っているのに、それを「ネガティブだ、和を乱す、ポジティブに行こうぜ」などと片付けてしまうと、複眼的な思考の持ち主から順番に抜けていきます。結果として、楽観的なバカだけが残ることになるでしょう。

また、Wikipediaに書かれていることは一理あるかもしれません。日本人は文化的に客観的状況把握が不得意だと。だとすると、クリティカルであることは人より一歩先行くためにとても役立つ能力になります。

主観的な姿勢を採る傾向にあるアジア圏の人々は欧米人に比べると客観的な状況把握能力が欠けていると言われる。考えられる理由としては社会文化の中に集団意識という概念が強くあり「話を聞く、疑わない」ことが礼儀であると認識されており批判することを失礼であるとみなす風潮が根強く残っているということに加え、集団意識に派生する情報共有の尊重が個人的解釈に優先する傾向がある。よってこのような社会に属する人間が批判的思考能力を養うのは容易なことではない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%B9%E5%88%A4%E7%9A%84%E6%80%9D%E8%80%83

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2008年7月17日 (木)

Global Warming Swindle

「地球温暖化の議論はおかしいぞ」といった懐疑論は、政治的な思惑があったり、または少し頭のおかしい人たちが言うものだと思っていた。

地球温暖化は科学的にも十分に検証されているからこそ、これだけ世界的な問題として扱われているものだと思っていた。

昨日までは。

どうやら、地球温暖化について毎日のように目にするにもかかわらず知らないことが多すぎるようです。知らないからこそCO2の増加をくい止めなければ人類の未来は無いと簡単に信じてしまい、また知らないからこそ細部の矛盾を見たときにすぐに信じられなくなる。



話題になっているイギリスのドキュメンタリー番組「Global Warming Swindle」によると、現在の地球温暖化議論は「全く非科学的」だという。

不都合な真実でアル・ゴアは気温上昇とCO2増加量のグラフを示し、人間が排出するCO2によって気温が上昇するとしたが、観測データではむしろ逆で温度上昇の結果としてCO2が増加しているようだ。確かに素人目にはCO2増加と気温上昇のどちらが原因でどちらが結果なのかは分かり難いため、われわれは無条件にCO2増加が原因だと信じている可能性もある。さらには、自然界で発生するCO2全体量に比べると、人間が排出するCO2などはごく微量だという。「車の調子が悪いときに、エンジンでもなく、ラジエターでもなく、右後ろのタイヤのボルトを調べているようなもの」とまで言っていて、もし仮にこの話が正しいとすると、人類は揃いも揃ってとんでもなく馬鹿馬鹿しい行動を行っていることになる。

そして、温暖化を防ごうと叫んでいる人々にもアンチグローバリズムや反アメリカなどの政治的な背景があり、また科学者も自らの研究を温暖化と関連付けることで研究費獲得が可能になる一方で、温暖化に懐疑的な意見を言った途端に研究費は削減される。メディアはより悲惨でインパクトの強い映像や危機感を求めているため、温暖化は年々深刻に報道されていく。



番組の内容はこのようなものだが、見て思ったのはやはり「地球温暖化防止のためにCO2削減」ということが絶対善なっていて、議論さえできない状態だというのは危険だろう。つまりは「温暖化ファシズム」。特に日本ではTV、新聞、政治家ともにエコ=CO2削減一色である。エコ活動は流行扱いであり、CO2削減であれば何でも正しいが、CO2削減に異を唱える者は異端者であり、政治的に偏りがあり、破壊者であるということになる。しかし各国の姿勢はこのような表向きの顔ばかりではない。

例えばEUは排出権取引市場と温暖化のルール作りにおいて覇権を握ることが目的だ。アメリカは原発が売れると目論んでCO2削減に歩み寄ってきた。いずれも自らの国益を十分に考えて戦略的に動いており、これが正しい行いだとは思わないが、日本の姿勢はあまりに純粋すぎて心配になってくる。先進各国はCO2削減で被るマイナス以上のプラスを得ることが主張の核心にあり、温暖化という環境問題が外交・政治問題へと変質している中で、日本の純粋さがかえって仇にならないだろうか。京都議定書の削減目標のように。


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2008年7月 8日 (火)

社長は顔が10割

Economist.comの「Face value」より。どのように行動するかは見た目で分かる、つまり会社の業績はボス(社長、CEO)の顔で決まるというきわどい話が載っています。

要約すると、
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当初、エール大学とピッツバーグ大学で「会社の成功」と「社長のパーソナリティ」の間に相関性があるかを調査した。しかし、個性(エキサイティングなビジョンを語ることや人を惹きつけるような振る舞い)と業績にはなんの関連性も見つけられなかった。

一方、Ambady博士は数年前に、講義を撮影したフィルムをたった2秒見るだけで、人々はその教授が優秀かどうかを判断できることを発見していた。その研究を発展させて、フォーチューン1000リストの業績上位25社と業績下位25社のCEOの写真を100人の学生に見せて調査したところ、その学生達の観察があまりに正確なので驚き、研究の結果(Psychological Scienceで発表される)として「CEOの顔の第一印象と会社の利益の間に相関が見受けられた」という。

仕事がデキそう」、「威厳を感じる」、「成熟した顔つき」といった印象のCEOの業績は良く、「親しみやすい」、「信頼できそう」という印象と利益とはあまり関係がなかったということ。

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時々、人材採用をしている人が「結局は顔に出るんだよ」と言うけれど、人間というのは今までやってきたこと、今後の可能性、能力、性格、自信なんかをまとめて「顔つき」としてパターン認識しているので、第一印象が物語ることは意外に多いと思う。

こういう救いどころのない話は好きだなあ。顔で決まるなんて言ってしまったら、仕事ができなさそうな顔の人は整形でもするしかない。でも、たしかに顔は重要な情報源だ。

「努力すれば夢は必ず実現する」という類の話は、自己啓発マニアにウケはいいけれど、努力というのは「個人的な活動」、内に内にへと向かう話だから現実の世界で考えるとちょっと甘すぎる。

自分の力だけで出来ることは限られてるので、現実には自分以外のことの方がより大切で、特に優秀な人々と知り合うことや他人の評価などは、見た目や雰囲気といった要素が大きな意味を持ってくる。(当然、中身が無ければ人間関係は続かないけれど。)

なので、社長の主な仕事をネットワーク作りやマーケティング、顧客の開拓・掘り起こしなど「外向きの活動」だと考えれば「仕事がデキそう」な顔の方が有利で、またそうやって外部に作ったネットワークが社内的にも大きな影響を及ぼす。業績が顔で決まるといわれても不思議でもないわけです。


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2008年6月26日 (木)

悪魔の見えざる手

カジノ資本主義とまで言われる現在の経済。原油高や物価上昇など、投機資金が現実世界へ及ぼす影響をみていると、さすがに経済というシステムが馬鹿馬鹿しくさえ思えてきます。

金融というものは、本来単独では存在できないものです。企業活動や消費などを「主」のシステムとすると、金融は「従」であり主を補強する存在です。その従者がいつの間にか宿主をコントロールするまでに膨張し、不安定をもたらす。不安定要因はリスクという数値に置き換えられ、また金融取引の対象になっていく。

最も大きな問題は、農作物が食料ではなく金融商品になってしまっていることでしょう。

わずか6~7兆円規模のトウモロコシ先物に、2000兆円ともいわれる年金資金の一部が流れ込むと価格は大きく変動し、バイオ燃料需要や天候不良なども影響して食料価格が高騰していきます。

その結果、世界食糧計画(WFP)はカンボジアやアフリカで学校給食を停止するなどの事態が起こり、最も守られなければいけない人々がさらに貧しくなっていきます。極端にみれば、貧国の子どもの食べものを取り上げて儲けるシステム。決して金融が悪いなどと言うつもりは無いですが、ものには限度があるでしょう。

よくファンドが悪いとやり玉に挙げられますが、そのファンドに出資しているのは各国の年金資金だったりするので、間接的に自分達も参加してしまっているというのはさらに皮肉な話です。

アダム・スミスの神の見えざる手と対比して金融経済システムを表した「悪魔の見えざる手」という表現は的を射てるのではないでしょうか。


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2008年6月21日 (土)

わたる/代官山

渋谷駅から少し歩いたところにある居酒屋「わたる」。居酒屋といっても、どちらかというと和食屋の雰囲気で、とても居心地の良いお店です。なぜ「わたる」というお店にしては変わったネーミングなのかなと思ったら、小池栄子さんと結婚した格闘家坂田亘さんがオーナーだそうです。

Wataru1
写真はぐるなび - わたるより

料理は居酒屋メニューながら手の込んだ一品料理で、カウンターに座ると料理人の丁寧な仕事が見えます。青魚と地鶏がウリらしく、刺身や手羽先の唐揚げは美味しい。吉祥寺「鳥良」の手羽先唐揚なんかよりも肉厚であっさりめだったかと思います。季節ものの料理も色々あって、この日食べた生牡蠣は手のひら以上もある大きさのものが3つも出てきて驚きました。

それほど大きくないお店ですが、お客さんが次々と入ってくる人気店。

わたる
東京都渋谷区猿楽町1-3
03-5428-5533
http://r.gnavi.co.jp/b225700/


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2008年6月17日 (火)

状元樓/横浜

横浜に行ったとき、ふらっと立ち寄った中華街にあるお店。横浜中華街に数多くある料理店の中で他と比べて店構えが綺麗だったのでほんと何気なく入ったのですが、これが正解。街によくあるいかにも中華料理という感じ、つまり窓ガラスまで油でくすんでるような中華店というのも良いけれど、やっぱり綺麗な方が入りやすいです。

野菜炒め、炒飯などの定番がとても美味しかった。味付けが絶妙です。実はそれほど期待していなかったので、食べた瞬間「ここ美味いわ」と言ってしまうほど。

ただ、「上海小龍包」や「焼き餃子」などの点心は普通だったな。ここは「蟹肉とホタテ入りレタスチャーハン」や「中国青菜と生湯葉炒め」を食べるべきです。

この状元樓は、自由が丘にもあるようですね。

ちなみに、せっかく横浜まで行ったのにカーナビの頭がとても悪くて困りました。目の前に高速の入り口があるのに右に曲がれとか、右に曲がった後に、曲がる前の道を起点にして新しいルートに変わったりと散々でした。

そのうち山の中で、「2Km以上道なりです」「目的地まで500mです」「目的地まで200mです」「目的地まで100mです」。突然胸騒ぎがして車を止めて降りると、そこは断崖絶壁。もし止まらなかったら・・・と思い、急いで車に戻るとカーナビが、

「死ねば良かったのに」

という都市伝説が自分の身にも起こるんじゃないかとワクワクしてます。

状元樓
神奈川県横浜市中区山下町191
TEL:045-641-8888
http://www.jogen.co.jp/jgr_yokohama/index.html


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2008年6月10日 (火)

バンブーグラッシィ/恵比寿

このバンブーグラッシィは、秘密にしておきたいお店の一つです。ゆっくりとくつろげるのに、カフェのような店内なのに、上質な素材を使った鉄板焼きというところがグッド。ウェブサイトにも、「バンブーグラッシィが目指したのは、ゆったりと大人がくつろいでいただける空間づくり。」とあるように、まず雰囲気が良い。そして素材が良い。

Bamboo_2

ちょっと考えてみると、秘密にしておきたくなる条件としては「料理が美味くて」「ちょっと大人な雰囲気で」「少し小さめでくつろげる」お店ということ。この3つが揃ったお店というのは、実はあまり多くないんです。

さて、鉄板焼きというのは素材の味がストレートに出るものだけど、ここの美味さは素材だけではないと思います。シェフが職人です。ご飯を炒める素早い手際を見るとさすがプロだし、和牛(最高に美味い)を焼くにも牛脂やガーリックを炒めてから肉を焼くといった手順があるようで、素材の味を引き出す職人と言えます。

野菜と肉がうまい、シメのお好み焼きがうまい。そして、やっぱりビールがうまい。

鉄板焼キュイジーヌ バンブーグラッシィ
東京都渋谷区恵比寿3-9-29 ピアハウス恵比寿B1
TEL:03-5739-0527
http://www.bamboograssy.com/


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2008年6月 8日 (日)

ライブに行ってきました。

大学の時から一緒に音楽をやっていたchiakiが新しいバンド「G:+」を組んで、ファーストライブを見に行ってきました。

このバンドは、曲がなかなか良いですよ。

様々なバンドで活躍していたメンバーが集まって作ったので、もう決して100%、いや10000%若くはないかわりに、経験がある。経験が生きているから、キャッチーで上手い曲作りができるんでしょうね。G:+のウェブサイトで曲のダイジェストが聴けます。

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«CARDENAS charcoal grill(カーディナス)/恵比寿